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Vol.17 【みなとみらい・昭和時代】昭和の大開発事業により誕生した、横浜の新しい水と緑の都

昭和中期ごろまで造船ブームが続く

氷川丸

氷川丸

昭和に入ると現在のみなとみらいの約6割が埋め立てられました。埋め立て地の多くは明治以降に発展した造船所で、氷川丸をはじめ多くの船が建造されました。現在でも横浜ランドマークタワーの脇にはかつての造船所の名残があります。太平洋戦争終結後もしばらくのあいだ造船ブームが続いたこともあり、造船所は活況を呈していました。しかし、造船所が立地する現在のみなとみらい地区が横浜駅と関内という都市の中間地にあることで、一部からは「街全体の発展を妨げているのでは?」という意見もありました。

高度経済成長期を迎え、大規模な開発事業が計画される

1979(昭和54)年に最後の進水式が行なわれた

1979(昭和54)年に最後の進水式が
行なわれた

1964(昭和39)年に東京オリンピックが開催され、日本全体が高度経済成長期に入ると横浜市も大きな岐路に立たされます。これまでのように街を2分化するかたちで造船所があっては、更なる発展が阻害されかねない。そう考えた当時の横浜市長・飛鳥田一雄によって1965(昭和40)年に「6大事業」が打ち出されます。これは、都心部強化事業、港北ニュータウン建設事業、金沢地先埋立事業、高速鉄道(地下鉄)建設事業、高速道路網建設事業、ベイブリッジ建設事業の6事業のことです。そのなかのひとつである都心部強化事業プロジェクトによってみなとみらい建設構想が立ち上がります。この都心部強化事業は、現在のみなとみらいである桜木町周辺の埋立地に新しい都市を作ることで横浜駅と関内を結び、市内の雇用の拡大を図る計画です。これによって造船業は徐々に縮小していき、1979(昭和54)年には最後の進水式が行なわれました。造船所はその後、本牧と金沢に移転することになります。

1983年から始まった開発事業により、現在の姿へ

1981(昭和56)年に一般公募で名称が「みなとみらい」に決定

1981(昭和56)年に一般公募で名称が
「みなとみらい」に決定

みなとみらいの開発事業は1981(昭和56)年に一般公募で名称が「みなとみらい」に決定された2年後の1983年(昭和58)年11月から開始されます。現在の総面積186haのうち76haが新たに埋め立てられた他、1991年7月にはパシフィコ横浜、1993(平成5)年には横浜ランドマークタワーなどが続々と誕生しました。また、1989(平成元)年3月~10月に横浜博覧会が開催された際にはJR桜木町駅前広場と横浜博覧会桜木町ゲートを結ぶ動く歩道が設置されます。同じ年の5月には中央地区の多くの町名・住居表示が「みなとみらい」に決定されました。

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