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Vol.22 【山下公園・江戸時代】横浜を代表する臨海公園、そのルーツはフランス波止場

開国前までは、波止場もない砂州が広がっていた

連日多くの人が訪れる山下公園

連日多くの人が訪れる山下公園

現在の山下公園は市民の憩いの場であると同時に、横浜を代表する観光地のひとつとして連日多くの人が訪れるスポットです。この地が開発されるのは幕末、開港後からになります。みなとみらい地区、大さん橋、山下公園までを含むこの海岸線一帯は、開国前まで砂州で、波止場も置かれていませんでした。先端は象の鼻に見立て「象ケ鼻」と呼ばれていました。陸地も、現在のような商業地の面影はまだなく、横浜新田、太田屋新田などの農地が広がっていました。

開国後まもなくして、フランス波止場が造られる

現在の大さん橋

現在の大さん橋

1858年(安政5)年、江戸幕府と諸外国のあいだで修好通商条約が結ばれた翌年の1859(安政6)年、横浜港が開港します。現在の山下公園の西側、大さん橋がある周辺に2カ所の突堤が造られます。輸出入貨物を扱う東波止場と国内の物資を扱う西波止場が設置され、イギリス波止場、メリケン波止場などと呼ばれました。のちに山下公園となる場所は東波止場のさらに東側に位置し、この時点では特に整備は行なわれていませんでした。その後、1864(元治元)年になると、貿易量の増加を受けて、現在の山下公園がある場所に新たに波止場が造られ、旧来の東西波止場は西波止場として統一されます。新しく造られた東波止場は、近くにフランス人居住区があったことからフランス波止場と呼ばれるようになりました。この地が現在の山下公園の中央部となります。

外国との貿易の拠点になり、外国人居留地も発展

当時は外国人の居留地として使用されていた

当時は外国人の居留地として使用されていた

フランス波止場はそれまでに使用されていた東波止場と同様に、外国船を対象にした新たな貿易の場となりました。この当時の様子は、現在の象の鼻パーク内に設置されている「象の鼻地区の波止場」と題した解説パネルで確認することができます。また、当時の波止場の前は貿易商を中心とした外国人の居留地として使用されていました。ここには現在ホテルニューグランドが置かれていますが、同じ地でこのホテルのモデルとなる施設が誕生しました。1863(文久3)年には、イギリス人のW.H.スミスが居留地(中区山下町)にあった自身の住まいを同じ国の人たちの社交場としてクラブを造り、宿舎として差し出しました。これが日本で最初のホテル組織となります。この組織はその後、クラブ・ホテルとなり、現在のホテルニューグランドのモデル、さらには日本国内にホテルが広がるはじまりとなりました。

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