お問い合わせ

戻る

住宅賃貸

創業から「外国人エグゼクティブ向け賃貸」にこだわり、都心で「いい部屋」を探される方に洗練されたホスピタリティと質の高い「高級賃貸」仲介サービスを提供して参りました。優れたチームワークと「高級賃貸専門」というプロフェッショナリズムで理想のお部屋探しをサポートします。

閉じる

戻る

住宅購入

VIPクラスのお客様との交流を通じ、洗練されたホスピタリティと質の高い売買仲介サービスを提供して参りました。高級物件のオーナー様から多数の物件を専任でご依頼いただくなど、公開・非公開を合わせ業界トップクラスの高級住宅取扱い数を誇ります。

閉じる

戻る

住宅の賃貸募集・管理

変動が激しい都市部マーケットにおいて、長年培ってきた膨大なデータと経験やノウハウをもとに、オーナー様の「貸したい」「管理してほしい」をトータルでサポートします。

閉じる

戻る

住宅・土地の売却

変動が激しい都市部マーケットにおいて、長年培ってきた膨大なデータと経験やノウハウをもとに、オーナー様の住宅・土地の売却をトータルでサポートします。

閉じる

戻る

賃貸オフィス

賃貸オフィスを探しているテナント様のために、物件のご紹介から条件交渉、契約締結、移転まで、きめ細やかにサポートします。外資系法人の仲介実績も多くあります。

閉じる

戻る

事業・投資用不動産

個人・企業を問わず都心の高級物件のオーナー様より多くの物件を専任でご依頼いただいています。そのため、事業用地、投資用収益物件に加え、自社ビルや社宅等の多彩な物件をご紹介できます。

閉じる

戻る

賃貸企画・経営

都心の高級不動産に特化することにより培った高い専門性と実績により、高い収益性と安定稼働を実現する賃貸企画・経営をオーダーメイドにてご提供します。

閉じる

戻る

ビル運営管理

都心のマーケット動向を的確に把握した上で、管理コストの適正化や資産の維持、バリューアップなどオーナー様のビル運営管理をトータルにサポートします。

閉じる

戻る

不動産売却

変動が激しい都市部のマーケットにおいて、長年培ってきた膨大なデータと経験やノウハウをもとに、法人のオーナー様の不動産売却をトータルでサポートします。

閉じる

戻る

不動産開発

タワー型大規模賃貸マンションをはじめ戸建・オフィス・国内外ホテルなど幅広い不動産開発のプロジェクトマネジメント業務を行っています。​

閉じる

戻る

ケン・コーポレーション グループ

不動産事業に加え、ホテル事業(株式会社ケン・ホテル&リゾートホールディングス)・太陽光発電事業・エンターテイメント等の文化事業を手掛けています。

閉じる

戻る

ケン・コーポレーション

都心の高級賃貸・高級住宅を専門に取り扱う総合不動産会社として、独自のネットワークと創業50年以上の実績とノウハウを活かし、お客様のニーズを実現するサービスをご提供します。

閉じる

  1. HOME
  2. 住まい
  3. 横浜みなとみらい・湘南の住まい
  4. 横濱コラム
  5. 【山下公園・明治時代】貿易の拠点としての座を譲り、主に船溜まりとして使用された現山下公園

Vol.23 【山下公園・明治時代】貿易の拠点としての座を譲り、主に船溜まりとして使用された現山下公園

明治に入り港が発展。新埠頭誕生により大型船が接岸できるように

明治29年に大さん橋原型となる鉄浅橋がつくられる

明治29年に大さん橋原型となる鉄浅橋がつくら
れる

明治に入る前までの横浜港は、開国後に急ごしらえで設置されたものだったため、外国船が直接入港することができず、船舶は一旦沖に停泊し、港とのあいだを艀(はしけ)がつないで貨物の運搬を行なっていました。しかし、明治期に入ると横浜港は徐々に近代的な港として発展を遂げていきます。まず1896(明治29)年に象の鼻に防波堤と現在の大さん橋の原型となる鉄桟橋がつくられます。その西側の海には、1917(大正6)年に現在のみなとみらい地区となる新港埠頭が誕生、大型船が接岸できるようになりました。さらに、海陸連絡鉄道、横浜赤レンガ倉庫など日本初の近代的港湾施設が続々と誕生しました。

貿易の場は新しい施設に移り、船溜まりとして使用される

関東大震災で防波堤の形状で残された

関東大震災で防波堤の形状で残された

一方で、波止場として使用されてきたイギリス波止場(西波止場)、フランス波止場(東波止場)は、新しい施設の登場に伴い貿易拠点としての役割を終えていきます。イギリス波止場のあった象の鼻地区はそのまま残されたものの、波止場自体は船の溜まり場として利用される程度になりました。後に象の鼻地区は関東大震災により被災しますが、防波堤の形状を少しだけ変更された程度の復旧作業が行われたのみで、再び貿易の拠点として使用されることはありませんでした。

震災の瓦礫処理事業として、山下公園が誕生

昭和10年に復興記念横浜大博覧会が開催された

昭和10年に復興記念横浜大博覧会が開催された

1923(大正12)年に発生した関東大震災によって、横浜も甚大な被害を受けました。震災により膨大に発生した瓦礫の一部は、フランス波止場に集積されることに。その後、大量の瓦礫を処分する必要に迫られた行政は、瓦礫を海に埋め立て処分することで公園をつくることを決定します。もともと、横浜市では震災前からフランス波止場のある地に公園を整備しようという計画がありましたが、さまざまな理由により延期されていました。 1923(大正12)年11月15日に瓦礫の処分場となっていた岸壁前面が公園の場所として指定され、1930(昭和5)年3月15日に開園されました。公園の造成を震災復興のシンボルとしようと考えた横浜市は、1935(昭和10)年3月26日~5月24日に、公園で復興記念横浜大博覧会を開催します。この博覧会には国内はもとより国外からも多くの品々が出品されましたが、なかでも鯨が泳ぐ「生鯨館」は多くの来場者を集めました。

山下公園エリアのマンションを探すならこちら