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Vol.29 【湘南・明治時代】西欧文化の到来とともに、明治以降、邸宅地・観光地として発展

別荘地として注目度が高まる他、新たな文化も誕生

明治に入り別荘地として注目される

明治に入り別荘地として注目される

明治に入ると、湘南エリアは東京に住む富裕層を中心に景勝地として注目されるようになります。鎌倉や逗子、葉山、藤沢などに伊藤博文、岩崎弥太郎、島崎藤村をはじめとした政財界人・文化人の別邸が建てられるようになり、別荘地としての色合いを強めていきました。なかでも葉山には、天皇家をはじめ、皇族の別邸が続々と建てられます。1891(明治24)年には有栖川宮別邸が、翌々年の1893(明治26)年には北白川宮別邸が、さらに1894(明治27)年には天皇家の御用邸が竣工されました。これにより、明治中期~後期になる頃には、湘南は別荘地としてのイメージをさらに強めていきました。また、明治時代の湘南地区では新しい文化も誕生しました。それは海水浴です。初代陸軍軍医総監の松本順が、1885(明治18)年に大磯に日本初の西洋式海水浴場を開設すると、一躍首都東京の避暑地として注目を集めるようになります。その翌年の1886(明治19)年には藤沢鵠沼海岸にも海水浴場が解説され、その後、日本国内で海水浴の文化が広がっていきました。

文人・徳富蘆花の作品により、魅力が全国に広がる

軽井沢、箱根に並ぶ別荘地として認知が広がる

軽井沢、箱根に並ぶ別荘地として認知が広がる

明治時代の湘南のイメージが世に広がった要因には、文人・徳富蘆花によるところも大きくあります。1897(明治30)年に赤坂から逗子に転居した徳富蘆花は、逗子の自然を國民新聞に「湘南歳余」として発表します。翌1898(明治31)年には日記「湘南雑筆」を編纂(へんさん)、これが明治中期の長きにかけて50万部のベストセラーとなったことを期に、湘南地区は日本の多くの人々にとって憧れの地となります。現在の高級避暑地といえば軽井沢や箱根がイメージされますが、当時の湘南はそれに勝るとも劣らない場所となりました。

東海道線が開通、それに続いて江ノ電も整備される

現在の東海道線(湘南新宿ライン・上野東京ライン)

現在の東海道線(湘南新宿ライン・上野東京ライン)

明治中期には、鉄道も整備されました。1887(明治20)年~1889(明治22)年にかけて藤沢、平塚、大磯、国府津、大船、鎌倉、逗子などに駅が続々と開業します。また、現在も湘南を象徴するもののひとつである江ノ電も1902(明治35)年9月1日に藤沢~片瀬(現・江ノ島)間で開通されました。その後、1910(明治43)年には鎌倉の小町駅まで延伸し、ほぼ現在営業している路線の基礎が築かれたのです。